日本の料理といえば、「ご飯」か「麺」と思っている人が少なくないのではないでしょうか。
もちろん、日本料理の中には、パン(ブレッド)というものはありません。東アジア各国では「饅頭」で挟んで食べるようなものがあったり、あるいは、北京ダックや春巻きのようにライスペーパーで撒いて食べるようなものもありますが、日本にはそのような文化はあまりありません。
日本では、食材に神様がいると信じていたので、食材を手でつかんで食べるということをあまりしませんでした。そのような食べ方をするようになったのは戦争の時の武士と、江戸時代以降、干飯やおにぎりができてからということになります。また、あまり小麦を育てていなかったので、パンや饅頭の文化があまり育たなかったのです。
しかし、日本にも「穀物を粉にして食べる」文化があったのです。その代表格が「お好み焼き」ではないでしょうか。
さてまずは「粉にして食べる」という「粉物文化」から紹介してゆきましょう。
日本にも粉物文化はありました。例えば、蕎麦。蕎麦は今のような食べ方ではなくもともとは「蕎麦掻」といって、蕎麦粉を練ってペースト状にしてそれを茹でたり蒸したりしたものに味をつけて食べていました。蕎麦粉でできた大きなお饅頭のようなもので、やはり箸で食べます。今でも蕎麦掻を食べさせてくれる蕎麦屋も少なくありません。
蕎麦だけではなく、例えば「すいとん」などという食べ物もあります。これは蕎麦と同じように小麦粉を練って鍋の中などに入れて食べていました。「水団」とか「水飩」とか言う字を当てます。小麦だけではなく粟や稗、サツマイモなど、さまざまなものを練って食べていました。
このように、「粉にして食べる」というのは、蕎麦におけるお寺など、修行している人が食べるものであったり、あるいはお米のご飯を食べられない、比較的に貧しい人が食べる料理であったとされています。
もともと、主食は最も大事なものでありながらも、主食でお腹をいっぱいにさせるというのは、あまり上品なものではないとされていました。「おかず」とは、さまざまな料理があり、それを「数々取り揃えている」という意味で「おかず」というのですが、その言葉の通りに多くの種類のおかずがなければ、貧しいと思われてしまっていたのです。
また食材には、すべての食材に神様がいますから、その食材の形をなるべくそのままにして味わうことができなければ、食材の神様に悪いのではないかと思われます。また粉にして、練った食べ物では、味は別にしても、耳や目は楽しくありません。そう考えると、粉にして食べる文化はあまり日本の貴族に間には広まらなかったのではないでしょうか。
これは日本の神様に対する掲げ方からそのようになってきたのであると考えられています。ですから、一部の甘味で「葛切り」や「干菓子」「白玉」といったもの以外には、古代からの粉物は残っていません。
しかし、その「粉物」の中で、現在でも主流になっているのが「お好み焼き」です。
お好み焼きの起源にはさまざまな説がありますが、もっとも有名なのが、「侘茶」で有名な「千利休」が茶道の茶菓子で「麩の焼」と呼ばれる、小麦粉を解いたものを直接焼くお菓子を出したことに始まるとされています。
麩の焼というのは、小麦粉を水で溶いて伸ばしたものを、直接鍋の上で焼いて、その生地に山椒やゆずの入った甘味噌をはさんで食べた、クレープのような食べ物であったと考えられています。
千利休が麩の焼を出すまで、室町時代には白玉や葛切りが京都の町で出始めていましたから、「甘味」の流れで粉物を使っていたということになるのです。
この麩の焼から、小麦粉を伸ばしたものを直接焼くという料理法ができます。そして千利休の出身地である今の堺市や大阪市を中心に、さまざまなものを小麦粉を伸ばした「生地」に挟んだり、一緒に焼いたり問うようにして食べました。この粉物文化は明治維新以降もどんどんと発展し、たこ焼きや、イカ焼き、トンペイ焼のように様々な種類があるのです。
さてお好み焼きです。今回は、黒い鉄板の上で、自分で焼くようなところで楽しみましょう。もちろん庶民の食べ物でも、さまざまな工夫がされているのです。その辺は、さすがに日本食の文化を作った京都のすぐ近く、大阪の文化だと思います。
熱い鉄板の上に、小麦粉や調味料、大量のキャベツ、そして揚げ玉や紅ショウガなどが入った器、そのうえに、メインの具材が乗ったものが来ます。まずは、そのメインの具材を焼きます。
メインの具材は豚肉やイカ、そのほかさまざまなものがありますが、基本的にメインの具材以外はすべて火が通りやすいように工夫されていますので、メインの具材だけは良く焼かなければいけません。この時に、豚肉などの焼けるいい匂いがします。肉や魚の焼ける臭いは、食欲がそそられます。
いい匂いがしたら、メインの具材の横で、生地を焼き始めます。そして、そのうえにメインの具材を乗せ、うまく固めます。分離しないようにしてひっくり返すのです。この「ひっくり返す」のが、うまい人、うまくない人がありますが、しかし、うまくゆかなくても味は変わりありませんから心配はしないでよいのです。
お好み焼きの良いところは、料理が下手な人でも、同じような味になるということです。ですから料理店もお客様である我々に、料理を任せてしまうのです。
さて、両面うまく焼きあがったら、あるいは失敗してしまった場合は少し形が崩れていますが、それでも、上からソースを掛けます。この「ソース」というのも、日本独特のものです。果物などを煮詰めたデミグラスソースのようなものですが、日本は、普通にソースという調味料を使います。甘みや酸味など様々な味が混ざった不思議な調味料です。
このソースを使うということが、お好み焼きのもう一つの特徴です。例えばたこ焼きなどは、もともと「明石焼き」といって、タコの入った丸い粉物の焼き物を、出汁につけて食べます。たこ焼きはこれがもともとの姿であったとわれていますが、お好み焼きのソースの文化が入り込んで、現在の形になったといわれています。お祭りの時などは、出汁と明石焼きでは立って食べることができませんから、ソースの方が便利だったのかもしれません。
では、なぜ醤油ではないのでしょうか。これは、醤油では、粉の中に深く入ってしまって、全体が醤油ベースの味になってしまいます。
粉物の場合、茹でて中に水が入っている場合は、醤油をつけても味が濃くなりすぎませんが、焼いたものは隙間が多いので、その中に醤油が入ってしまい、全体の味ののバランスが崩れてしまうのです。庶民の食べ物であっても、また、もともとが甘味であっても、全体のバランスを崩さないような味付けにするというのは、日本料理にとって変えてはならないことなのかもしれません。そこで、あまり中に入らず、また生地や具材と味覚の部分で喧嘩をしない「ソース」が編み出されたのです。お好み焼き専用のソースというのは、非常に甘く、水飴などが入っているものもあります。それが生地の味を引き立てるという料理なのです。
このソースを上からかけると、「ジューッ」という音と同時に、ソースの甘い香りがあたりに広がります。音と匂い、いっぺんに感じることができますね。その後マヨネーズをお好みでかけます。
さてこの時に、少し慣れた人ならば、お好み焼きの上にマヨネーズで絵を描くこともできます。丁度カプチーノのコーヒーカップアートのように、お好み焼きアートも「目」で楽しむことができるのです。
庶民の食事の中でも、しっかりと「視覚」「聴覚」「嗅覚」を使って楽しむことができるのです。さすがは関西、それも食道楽の町大阪は、すごいと思います。特に粉物文化は、もともとあまり高級な食材ではありませんでした。逆にその粉物の食材で、五感を楽しめる料理を作ったことが、お好み焼きを全国区にした大きな要因ではないかと思います。
さてでは食べてみましょう。全体にソースの甘みと、マヨネーズの酸味、そして鰹節のコクと青のりの風味というように、あとから付け加えたもので料理の味のさまざまな要素が出来上がっています。そこに、小麦粉の生地とキャベツの甘み、紅しょうがの酸味、揚げ玉のコクというように、調味料に対応した「味覚」がその中に存在します。そして、キャベツのシャキシャキ感、揚げ玉の入った小麦粉のふんわり感、そしてメインの具材の「歯ごたえ」という感じが、さまざまな触感として、口の中にひろがるのです。まさに、粉物文化の芸術ということが言えるのではないでしょうか。
庶民の食べ物、あるいは日本ではあまり裕福ではない人の食べ物であったものが、「町人の文化」として多くの人に食べられるようになっても、味のバランスと五感で楽しむことは忘れないのです。
日本食の奥の深さを楽しんで、粋な日本料理通になるために。
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