ジャパニーズ・ファーストフードといえば、皆さんは何を考えるでしょうか。
日本料理というのは、正式には、現在であれば「懐石料理」などで残っているように、前菜から順番に出てくるような料理です。コース料理のような感じですね。この場合、初めにおかずが出てきて、最後にご飯とお味噌汁と香の物の「お食事」でお腹がいっぱいになります。そのような懐石料理でなくても、定食というのがあります。お刺身定食とか、焼き魚定食とか、これらもご飯とお味噌汁、そしておかずがお盆の上に乗ってきます。懐石料理のようにおかずは次々と出てくるのではありませんが、ご飯とおかずが別であることは変わりません。
日本は、料理の素材一つ一つに神様が宿っていると考えています。そして、その素材の神様に料理人の魂が宿って一つの料理という「神」が生まれるのです。その神様を戴くのに一つ一つをゆっくり味わうようになっています。そのために、一つのお膳や料理に、五感全てを使って感じてい食べないと神様に失礼になります。そこで、一つ一つ別々に出てくるのです。このおかずやご飯をおいしくいただくために、耳や目などすべてで楽しむのです。
逆に「ジャパニーズ・ファーストフード」というと、その主食であるご飯と、それを彩るおかずが「一つになって出てくる」ということになります。つまりご飯の上におかずが乗っているということになります。日本では「お寿司」と「丼物」といわれるものが、ファーストフードということになるのです。そして、その代表といえばやっぱり「親子丼」です。もちろん「牛丼」「カツ丼」「天丼」など様々あります。しかし、カツ丼のカツ、天丼のてんぷらは、単独でおかずになりますが、親子丼は、その具の部分だけが単独でおかずになることが少ない料理です。
親子丼は、もともと1891年頃、日本橋人形町にある軍鶏料理専門店「玉ひで」では、軍鶏鍋鳥鍋を食べる客の一部に、鍋のシメとして卵でとじてご飯にのせて食べる客がいたことに端を発しているという説がもっとも有力です。鍋料理をやると、最後に鍋の中にご飯を入れておじやを作ったり、あるいは、その鍋の出汁をご飯にかけて食べるのですが、それが独立の料理になったので、てんぷらやカツのように独立の料理として親子丼はあまりないようです。
さて親子丼は、ご飯の上におかずが乗ってしまっているファーストフードです。そのために、五感全てを使って楽しむ料理ではありません。時間がなかったり、あるいは、余裕がなかった時に、丼物を食べていましたから、当然に五感全てを使ってゆっくりを味わう料理にはなっていません。そのために、見た目や音はあまりこだわっているものではありません。しかし、それでも日本の料理は、少しでもそのようなところをこだわる工夫をしています。それでは、出てきた親子丼を食べてみましょう。
お盆の上に白い丼があり、横に少しの香の物と味噌汁がついてきます。まずは丼のふたを開けてみましょう。中には一面に広がる卵とその合間に見えるご飯でしょう。そして、その黄色の大地の上には、少々の刻み海苔と細かく刻んだネギがあります。卵の黄色と白、そして、鶏肉も城です。丼も白ですから色合いが白ばかりになってしまいます。少しでも「視覚の刺激」を求めるために、黒い海苔と濃い緑のねぎや三つ葉を入れます。そのためにねぎは緑の部分をいれるのです。これで少し色合いが良くなります。店によっては紅ショウガで赤を入れたりもします。そうやって、丼の中でできる限り色合いを作ってゆきます。
さて、その黄色の大地に箸を入れてみましょう。ふっくらした「卵とじ」にご飯がうまく合わさっていて、一口で卵とご飯が一緒に箸の上に乗ります。
さて、この「卵とじ」という料理方法は、汁気の多い料理が煮立ってから溶き卵を流し込んだ料理方法です。親子丼の場合は、もともとが軍鶏鍋ですから、鶏肉と玉ねぎなどを出しで煮ます。そして最後に卵を流し込むのです。煮た鍋や出汁の熱で卵は固まります。熱によっては少し半熟なところが残りますが、それでも問題はありません。あまり卵が固くならない所が、親子丼の特徴であり、最も美味しいところです。完全に汁気をなくしてしまうのではなく、汁気を残して歯触りを変えてゆきます。それが卵とじの特徴です。「煮た鍋を卵で蓋をする」ということで「閉じる」というようになったのです。
ですから卵は他の食材の邪魔をしないようにしています。もちろん卵そのものの味わいがありますが、出汁やその出汁で煮込んだ食材に勝るものではありません。その中で、半熟のふわふわした触感だけを残すのです。
さて、では食材はどのようなものでしょうか、だいたいの親子丼は、鶏肉と玉ねぎです。鶏肉も出汁に負けないコクのあるもも肉を使うことが多いのです。そして玉ねぎです。玉ねぎは、よく出汁を吸いますから、出汁の味が染みて柔らかくなります。そのうえ、よく煮ると甘みが出てきます。また、肉や卵と違った、少し硬い触感を楽しむことができます。ふわふわの卵の中で、少し弾力のある鶏肉と、少し硬い玉ねぎのさまざまな触感を感じることができるのです。
出汁は大体の場合椎茸と鰹節の出汁が使われます。鶏肉は淡白な味わいですから、ここに淡白な出汁を出してしまうと、味がぼやけてしまうということで、多くの場合は「コク」のあるだしを使うのです。また、この親子丼という料理が、もともとが鍋のシメ料理でできた料理であること、また、日本のファーストフードであり、あまり時間がない人が食べる料理であるということから、鍋の後でも美味しいと感じられること、そして、時間がない人でもすぐにお腹がいっぱいになって美味しいと感じられるように作られています。
つまり、他の料理とは異なり、味が濃くできています。日本料理の多くは、ゆっくりと食べ、何回も奥歯でかんだり、舌触りを楽しんだりして味わうものです。しかし、時間がない人は濃い味で、すぐに塩分とエネルギーを補給しなければなりません。そのために、濃い味にして、ゆっくりと噛まなくても、すぐに美味しいとわかるようにしてあります。
また、塩分も少々強めにしてあります。時間のない人は、たいていの場合良く汗をかいて、塩分が必要なのです。そのために、他の料理に比べて塩分も少々強めにできているのです。親子丼が多くの人に美味しいといわれるのは、このように出汁がおいしく、なおかつ食べてすぐに美味しさがわかるということにあるのではないでしょうか。
味が濃い目であっても、全体のバランスを欠くようなことはしません。日本料理において、塩分が必要だからといって、塩を多めに入れるというのは、あまり上手な料理人がすることではないのです。日本料理は、引き算の料理で、様々な食材の美味しいところだけを集めて提供するということになります。
逆に言えば、その美味しいところだけを集めるという作業の中において、片方が淡白であれば片方がコクがあるというように、必ず全てのバランスをうまく調和させることが日本料理の極意につながるのです。どんなにおいしくても、何か一つに偏ってしまえばあまりよい結果にはなりません。
日本では古くから「和をもって貴しとなし」という言葉がありますが、それは人間関係だけではなく、料理の食材に関しても、いやすべてのことに関してバランスと調和を重視するのです。
料理に戻りましょう。基本的には、一掴みの箸の上に、これだけの意味合いが一口で乗っています。そのうえ、そこに主食であるご飯も一緒にあるということになります。当然に、他の料理と違って、この卵とじ全体がご飯そのものの味や触感と調和できるようになっているのです。
ご飯というのは、何回も噛んでいると、甘く感じます。そしてその触感は温かく、柔らかいものです。その温かく柔らかく、そして甘い触感の上に、コクのある出汁で煮た鶏肉と玉ねぎを卵で「閉じた」料理が乗っているのです。そして少々濃い味の出汁が効いているのです。想像するだけで美味しそうですね。
さて、親子丼も「聴覚」に関してはあまり書くことがありません。柔らかいごはん、柔らかい卵、よく煮た柔らかい鶏肉に玉ねぎでは、音を楽しめる食材はありません。これはもともとが鍋の締めの料理であるということから、すでに「音は楽しんだ後」ということと、もう一つ、親子丼として独立してからは、時間がない人のためのものであり、何か一つ感覚を開けておかなければならないという気づかいでもあります。まずは耳の感覚が開いていて、次に食べていくうちに目の感覚も自由になります。そのために、徐々に食べるということから仕事に戻ることができるのです。日本の多くの「丼物」は、そのような特徴があるのです。
さあ、時間がないときの日本人の食事を味わってみませんか。
日本食の奥の深さを楽しんで、粋な日本料理通になるために。
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